君子勿素餐

2011.11.12 Saturday

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    また難しい言葉をタイトルにしてしまいました(苦笑)


    えぇ(^。^;)読み方なんて分かりませんよ。

    調べる気なんて更々ございませんm(_ _)m


    えっーと意味は・・・「君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ」って事らしい。


    幕末・明治にかけて活躍した、桂小五郎(木戸孝充)・山縣有朋らが師と仰ぐ吉田松陰の言葉です。


    日本史の教科書には・・・
    1858年(安政5年)大老 井伊直弼らが尊皇攘夷らを弾圧。これを安政の大獄と言います。
    的な感じで書いてあって、そこらへんで吉田松陰も登場するから覚えている方も多いはず。

    前振り長くなりましたが、久しぶりの歴史モノでございます。

    こーやって調べて書くのって大変楽しいね。


    出張で山口県に行ったので、もちろん立ち寄ってみました。。。
    って言うてもそない時間が取れる訳でもなく駆け足で巡ったので見れてないに近いですが・・・。


    長州藩と言えば桂小五郎に高杉晋作のイメージが大変強いのですが、
    実際山口県に入ってみると吉田松陰人気の方が高いみたいで・・・。

    思えば、高知県も実際には坂本龍馬より武市半平太やったりするし世間一般的なイメージより、
    こーやって地元で触れるって言う大変良い事やね!

    さて、吉田松陰がここまで地元で人気が高いのかって言うと答えは明白で優れた指導者で、
    伊藤博文・高杉晋作らを輩出したのもそうやけど長州藩の在り方も示したんではなかろうか?

    この吉田松陰の指導法は・・・
    当時一般的であっただろう強制的で一方的な教えとは違い、
    個々の適正を判断し個々に合った教育を施したと言われていて当時では異質やったんちゃうかなぁって思う。

    その分、武市半平太の『土佐勤王党』とは違い、吉田松陰が斬首になった後も、
    教えを受けた志士達それぞれが活躍の舞台を広げ、明治維新後にでも活躍出来た志士が多いのではなかろうか。。。

    吉田松陰の人生
    1830年に生まれ。幼少の頃に吉田家の養子となって自由な発想なのか脱藩したり、
    長崎に寄港していたロシア船に乗り込もうとしたり、再来航したペリーの艦隊で密航未遂を犯したりと・・・
    なかなかアグレッシブでバイタリティのあるお方やったと想像しております。

    密航未遂の罪で長州藩に戻され幽囚されてしまうんやけど、周囲からの勧めもあり叔父が開校した私塾
    『松下村塾』で講義を行い、長州藩出身の幕末の志士を多く育てる。

    吉田松陰の罪
    実際このあたりの時代背景が悪いと言う事になってしまうんやろうけど、
    尊王攘夷思想の吉田松陰が『日米通商条約』を勝手に締結した幕臣の暗殺計画が漏れてしまって
    江戸に搬送されて結局首謀者と言う事で斬首刑にされてしまう。

    『松下村塾』出身の志士と言うと
    代表的な存在は高杉晋作、そして禁門の変で散ってしまった久坂玄瑞らが有名で、
    初代内閣総理大臣の伊藤博文に、国軍の父と称される山縣有朋らが有名どころで、
    それ以外にも明治政府で要人を務めた人物が多数。

    調べていて分った事は桂小五郎は松下村塾出身じゃないって事。
    てっきり一番弟子くらいな存在やと思っていたから、やっぱりこうやって調べて行く内に歴史の深さを感じるよね。

    とまぁ色んな物を読んで簡単にまとめてみました。

    ↓↓吉田松陰が叔父から受け継いだ松下村塾跡でございます。