謎は全て…とは言わんけど解けた。 旧有漢村

2018.12.28 Friday

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    母の戸籍謄本に記載されていた65,6年前の住所と、

    古い写真を頼りに訪れたのが前回

     

    今回で完結するかな…f^^;

     

     

    古い写真に写っていた灯篭を見に集会所へ移動。

     

    形や丁寧に教えて頂いた奥様のお話からしてほぼこれが

    63,4年前1〜2,3歳のオカンと写っている灯篭で間違いない。

    残念ながら記憶のない伯父もこれに登ったりして遊んだのかなぁって思うと感慨深い。

     

    写真を数枚撮り、一先ずオカンに住んでた場所の”画像だけ”を送り、

    先ほど教えて頂いた昔の事を知っているお婆さんがいる家付近を目指した。

     

     

    前回の出生地から直線距離にして数十メートルやけど、

    川があり橋もないのでぐるっと回っての距離。それでも数分。

    ありきたりの表現で申し訳ないけど、物凄く遠く感じた距離。

     

    車を少し遠くに止め徒歩で向かうと、一人の男性が立っておられこっちを見ている。

    僕の後ろには田圃と山しかないから不気味やなぁと思い…。

     

    それでも「こんなところに知らん奴」の僕の方が相手からしたら不気味か…

    なんて自分で突っ込みながら教えてもらった”黒い屋根”のおうちを探していると、

    その男性が「奈良から来た人?」と話かけてきたので

    「はい」と返事をすると「こっちこっち」と案内をして下さった。

     

    案内して下さった家の軒先にお婆さんが座っておられ、

    「ふーちゃんの孫かい?」と…

     

    (ふーちゃん?誰やそれ)と内心思いつつ祖母の名前と経緯を説明した。

     

    するとお婆さんが懐かしそうに昔の話をして下さった…。

     

     

    このあたりで…次回に持ち越そうかな…

     

     

    ちょっと長くなるけど最後までいきましょうかw

     

    もう少しお付き合い下さい。

     

     

    お婆さんの話をまとめると

     

    昔、修験者?としてふーちゃんの夫(僕の祖父)が呼ばれて、地域で家を用意し一家で住んでいた。

    護摩行をしたり年始のお祈りや節目ごとに祖父が各家庭を廻っていた。

     

    その妻として有漢の生活にも馴染み、皆は祖母を”ふーちゃん”と呼び、

    日本舞踊をしていた祖母に盆踊りの振付や踊りの教えを乞うて慕っていた。との事。

     

     

    オカンも伯父も知らなった事実…祖父の当時の生業…山伏。

    そして最も重要だと思われる事実…悪い印象は無く生活に馴染んでいた…。

     

    お婆さんは時折涙ぐんで

    「まさかふーちゃんの話がまた出来るとは…ふーちゃんのお孫さんに会えるとは…」

    と言い色んな話をして下さった。

     

     

    お婆さんの記憶を抜粋しまとめると、

    当時男の子が一人いたのは知っているけど、女の子が生まれたのは知らなかった。

    と、言う事はオカンが生まれて直ぐ有漢村を離れて淡路島→大分と引越ししたのか?

    そうすると写真直後に引っ越ししたのか、引っ越しするから写真を撮ったのか…。

     

     

    終戦間もなく色んな方が”ふーちゃん”を支援していた。

    少なからず祖母が有漢にいたのは1940年の後半から1952年頃まで。終戦から5年程の山奥の田舎。

    祈祷師・山伏の需要がどれくらいなのかは知らないけど、

    オカンも伯父も極貧だった。って記憶からある程度は想像出来る。

     

     

    前の家のお風呂

    ふーちゃんの家は住むことが目的ではなく、今で言う集会所の様な場所。

    お祭りとか祈祷するのが目的でお風呂がなった為、前の家のお風呂を借りていた。

    そこの奥さんが面倒見の良い方でよそから来て田畑を持っていないふーちゃんに、

    野菜をあげたりとか何かと面倒見てたのでは…。

    でもふーちゃんが例外ではなく、何もない時代だったから皆で協力し合っていた。

     

    このお婆さんのところへ訪れるキッカケとなった奥様の義母の方。

    僕が来るのがもう少し早ければその奥様からもっと詳しくお話が聞けたんだろうなぁ。

     

     

    毎日の様に祖母宅へ野菜を届けた人

    祖母が徳島出身と言う事もあり、同じ四国の高知出身の女性が、

    夕暮れ時になると、採れた野菜を籠に背負い川沿いを歩いて届けていたらしい。

     

    昔オカンが祖母から聞いた「岡山時代〇〇さんには世話になった」ってのは

    この方を差していたのかなぁ。その方も数年前に亡くなったみたいで、

    もし生きていて僕が来た事を知ったらその方も喜んだだろう。ってお婆さんが言ってくれた。

     

     

    いつの間にかいなくなってお別れも言えなかった。

    岡山に来た理由はほぼ分かったものの、岡山から引越しした理由は謎のまま。

     

    謎の多かった婆ちゃんらしくてこのままの方が良いのかもねw

     

     

    ふーちゃんのその後が気になっていた

    ひょっとすると、お風呂を借して下さった面倒見の良い奥さんは知っていたかも知れないけど、

    ふーちゃんに踊りを教えてもらった方々は理由も知らず、どうなったのか気にして下さってたみたい。

    夜逃げしたとも死んだとも別のとこに呼ばれたとも…当時色んな噂があったらしい。

     

    でも仕事柄借金とかで夜逃げする感じではなかったし、貧しいのは当時皆同じ。とそのお婆さん。

    多分、祈祷師・山伏として次のところに呼ばれて引越ししたのだろう。と…。

     

     

    今、ふーちゃんを知っているのは…

    旧有漢村で当時の祖母を知っていてお元気なのは残念ながらこのお婆さんくらいらしく、

    2,3名ご存命らしいけど、遠くの施設で認知症を患ったりで記憶がないとの事。

     

     

    しかしながら当初思い描いていた訪問予定から想像していなかった展開に感謝。

    今回このタイミングで訪れお話を聞けた事、何か説明が出来ない力があった気がしてならない。

     

    特に話を聞かせてもらったお婆さんが何度も何度も

    「またふーちゃんの話が出来る日がくるとは…」と仰って下さったのが印象的で、

    これまでオカンが思って僕に話していた祖母の若い頃に対する印象が180度変わった。

     

     

    いきなり現れた僕なんかにお話をして下さりしかも帰り際に

    「せっかく来たのだからご飯でも食べていき」と仰って下さるお人柄。

    祖母も当時は本当に周囲の方にお世話になり過ごしていたんだろうなぁ。と想像が出来る。

     

    ここまで到達できたのも、NPO法人や町役場の親切丁寧な対応。あとネットw

    心からの感謝しかない。

     

    天国の婆ちゃんは確実に「余計な事しやがって」とお怒りだろうと思いつつ、

    ここでの暮らしや周囲の方がいなければ僕は生まれていなかったかも知れない。

     

    なーんて大そうな事を考えると偶然とは言え、訪れたくなり話も聞いてみたくなった。

     

     

    そのお婆さんの話を終え、早速オカンに報告かねて電話。

     

    あれだけ「話は聞くな」と言ってたから怒るかと思いきや、

    特に怒らず、それ以前に知らなかった事実に驚き安堵していた様子。

     

    元々は僕自身が気になってクリアにしたかっただけなので、

    本音のところ”ついでに”オカンも喜んだならそれはそれで良かったw

     

     

    今回、長々と書いた割には少しの謎は残し「100%分かった」とは言えないが、

    僕の中での達成感・充実感はある。

     

    次は、オカンが行きたいと言っている大分…。

    有漢に比べると僕は大分に関しての熱量は低いんやけどなf^^;

     

    まぁそんな感じです。

    お付き合いありがとうございました。

     

    ではヽ(^。^)ノ